2018年2月アーカイブ

「慇懃無礼」とは、「丁寧である」がかえって「無礼になる」という、という意味の言葉ですが、

慇懃無礼とまではいかなくても、なんとなく違和感のある「丁寧な対応」を受けた経験をお持ちではないでしょうか。

 

言葉や態度は丁寧、けれども表面的であると感じられる場合と、

言葉や態度が丁寧、なおかつ言葉と態度の間に隔たりがなく、親しみを感じる場合、

表現の違いはどこから生まれるのでしょうか。

ホテルやレストランなどで、同じように行き届いた対応であっても受け取る感覚に微妙な違いを感じることがあります。

 

その違いはどこから来るかというと、、、

「人の表現」によるものですから、その人の「あり方」に根差したものと推測されます。

ですから、礼儀作法などのテクニックを使う以前に、いったん自身の存在自体への問いかけという過程が必要になります。


社会の変化と複雑性が増すなかで、従業員に対するメンタルヘルスへの配慮やサポートが必要だと言われています。

 

もちろん、そのような支援が職場において必要とされている現状も理解できます。

けれども私は、一人ひとりがプロフェッショナルとしての意識が求められる職場においては、個人への信頼に根差した相互支援の仕組みで、メンバーが「たくましく育つ」ことを目指しています。


スタッフが育つ過程の先にはプロとして、そして人間としての成長があります。

仕事を通して「自分の成長を楽しんでいる人」は、仕事でぶつかる壁や、課題、上司や同僚からの少々耳の痛いフィードバックも、自分の成長の糧にしようとするたくましさがあります。

なんとも幸せな気持ちで、自分の心が持って行かれた。

あえて言葉にするならば、こんな感じ。

人間国宝の歌舞伎役者、坂東玉三郎の舞台で最後に見たお辞儀がなんとも美しく、大変印象的でした。

 

それ以来私のヨガのレッスンが、密かに坂東玉三郎さんの佇まいの美しさを目指す修行の時間となりました。

 

ヨガのポーズをとりながら、玉三郎さんなら・・・とイメージすると、手の指の先から足の指の先まで意識が巡り、傍から見れば全く別物の、自分の世界だけのなりきり坂東玉三郎です。