「慇懃無礼」とは、「丁寧である」がかえって「無礼になる」という、という意味の言葉ですが、
慇懃無礼とまではいかなくても、なんとなく違和感のある「丁寧な対応」を受けた経験をお持ちではないでしょうか。
言葉や態度は丁寧、けれども表面的であると感じられる場合と、
言葉や態度が丁寧、なおかつ言葉と態度の間に隔たりがなく、親しみを感じる場合、
表現の違いはどこから生まれるのでしょうか。
ホテルやレストランなどで、同じように行き届いた対応であっても受け取る感覚に微妙な違いを感じることがあります。
その違いはどこから来るかというと、、、
「人の表現」によるものですから、その人の「あり方」に根差したものと推測されます。
ですから、礼儀作法などのテクニックを使う以前に、いったん自身の存在自体への問いかけという過程が必要になります。
その問いかけとはこの二つです。
「人としてどうありたいか」
「仕事において、何を大切にしているか」
この二つの問いに真摯に向き合うことで、自分が望む相手との関係性と実際の言葉使いや態度とのギャップがなくなり、表現が洗練されます。
表現は自由。でも私はあえて丁寧さを大切にしたいとおもいます。
なぜならば、丁寧さは自分と相手の心を穏やかに包み、その安心感は自身の成長にもつながるからです。そしてその丁寧さを表現するのが礼儀正しさで、そのための手段が礼儀作法です。
礼儀正しさがお互いの安心感を生むとしたら、安心感から生まれる「質問してみよう」「提案してみよう」「挑戦してみよう」という積極性は、仕事におけるパフォーマンス向上の源泉になるはずです。
自分を育てることと、表現の洗練が相まってらせんを描くように成長していく、そのようなことが日常的に行われる環境作りに貢献したいと考えています。
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